古墳時代にできた古代国家は、中国大陸や朝鮮半島の文化を吸収して天皇を中心とした律令国家として成長しました。 この時代には各種の役所が作られるようになり、国には国府、郡には郡家が作られ、各地に軍団(国家規模の軍事組織)も配置されました。また交通路も整備され、約16㎞ごとに駅家が置かれ、条里制といわれる区画整理も実施されました。
ここ城南町の舞原台地には肥後国最古の国府が、鰐瀬には益城郡の郡家があったといわれ、宮地には「球磨」とよばれる駅家があったと考えられます。現在の城南町「碇」は古くは「生河里」と書かれ、条里制のなごりを残しています。